2006年3〜4月 南米旅行記   このページは画像無しです。

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2006年4月21日(金)

ラパス


<ラパス観光>


 朝、七時過ぎに起きて、まだすぐ下の教会の写真を撮れてないのに気付く。慌ててシャワー浴びてヒゲ剃って教会に行き、撮影。でも、まだ駄目。ズームすべきだった。でも、人々の来る寄進箱の上にカメラ乗せてミサ中に撮るのは良くない。人々の集まる前、ミサの準備中ぐらいに行くべきなのだ。

 今日はイグアスー行きを決断する日。あと、明日のコパ行きの準備も要る。
 まず、ホテル下のEntelでプエルト・イグアスーのブラジル大使館へtel。英語うまくない人だったけど、多分、A$1,800とパスポート、写真1枚で二時間と言った筈だ。その後、エージェント二箇所でコパカバーナ+太陽の島ツアーの話を聞く。太陽の島の観光が付いててちゃんと英語のガイドありそうな店。でも、高すぎる。US$70以上。結局、ティワナクのツアー頼んだエージェントでUS$45で申し込む。ガイドが少し落ちる気がする。車もレベル落ちそうだ。──日本語可のインターネット屋で Aerolineas Argentinas と Aerosur のフライト時刻・割引料金を調べる。日本語版の Visit Argentina ページは 2005.10 以後更新されていない。英語ページもあったけど良く分からない。ネットでもあまり安くなるものでも無さそうだ。元が安いからかな。
 チケット用のエージェントを捜してみる。ロンプラに載っていた private Tourist Information は端末置いてなくてNG。でも、向いのエージェントを教えてくれる。(目星はつけてたんだよ。でも、お昼で休んでたんだよな。)少し下手にあるLANとLABの正規エージェントへも行ってみる。端末あるけどイグアスーは実際には無くて、パラグアイ側に行かなきゃ駄目とか言う。絶対おかしい。でも、四月二十四日の Aero Sur はもう無くて、LAB しか無い。(30$高い)四月二十五日の Aero Sur もあと四席。一旦宿に戻り、午後二時半過ぎて念のため宿の向いのエージェントで尋ねてみると、ちゃんとA.A.のイグアスー行出してくれる。でも Visit Argentina パスはボリビアでは無理との話。Aero Sur が既に無いのは同じ。内容メモ貰って少し考える事にする。坂下りていくと今朝AAへ電話掛けた時の店が実はカメラ屋で証明写真できると知った。(午前中は証明写真できる店見つけられてなかったのだよ。見つけた写真屋の一軒は看板だけで、もう一軒はデジタル処理と記念写真だけだった。)写真撮ってサンフランシスコ寺院まで降りて考えてみる。──その結果、やはり行く事にして、さっきのエージェントに戻って La Paz =@⇒ B.A. =A⇒ Igazu =B⇒ B.A. =C⇒ Mendoza の四チケットを申し込む。一度確定した後、ニイチャンはBとCを同日に出来ると教えてくれる。折角だから、A、Bを一日遅らせて、B.A.滞在を二日にする。良いエージェントだ。すっきりしたので、日本へ旅行記メールでも打とうと、教会付属 Museo の Cafe に入り、Expresso5.0+ケーキ10.0を頼んで下書きする。土産買うことを思い出し、Bs200弱では心許ないので五千円ほどCAMBIOする事を決める。¥⇒Bs0.06(16.6\/Bs)が「良い」と勘違いして円から換えようとするが、両替直前に気付いて$50からの両替に変更する。インターネット屋は全部詰まっていたので土産を庶民の市場で物色する。白いコンクリートの広場の周囲に並ぶコンクリート作りの簡素なお店。Bs25と言ってた布五つとBs5の小袋二つを値切らずに買ったらBs10にしてくれた。何軒か回ったけど、何も買わなくても笑顔で送ってくれる。なんか良いな、インディオの人達は。
 Lomitoを食べようとしてホットドッグの方が旨そうだったので変更。確かに、ソーセージが美味しい!カラマで食べた澱粉の塊りみたいのとは大違い。天然ジュース飲んで、その後インターネット屋でメール送る。さらにうろついて肩掛けバッグと菓子を買って帰る。ペーニャでも聴きに行きたかったのだが、今の病んだ体に支配された心では大して楽しめそうに無い。帰って荷造りして日記を書く。




2006年4月22日(土)

ラパス → コパカバーナ


<ラパスからチチカカへ>


 後頭部首の上辺りが痛くて夜中に起きてしまった。昨日、あまり食べなかったために血糖値が下がっているようだ。菓子食べて水飲んで明け方に改善する。あまり動かないと食べたくないのだが、強制摂取しないと駄目だ。
 体は夜寝る前に冷えて朝は熱い。毎日、歩くのが結構しんどい。高山病だと思っていたが一部は単に風邪かもしれない。二十日に一度引きかけてゆっくり休んで直ったと思っていたのだがまだ全快ではないようだ。薬飲んで動こう。できればコパで薬を買い足して。

 ボリビアは BAN~0 PUBLICO(公共トイレ)、DUCHA PUBLICO(公共シャワー・ルーム)が多い。バスの窓から通過する街々に多数見かける。皆、高山病対策に水を沢山飲んでトイレに始終行くのだろうか?でも、DUCHAはなぜ?

 ラパスの背後からチチカカへ続く平原は元々湖だったのだろうか?恐ろしく広い範囲で平野が続いている。だとすると、平野からラパス市街への急激な落ち込みは何なのだろう。チチカカから南方へと続いてきた平野部は、いきなり半円状の落ち込みとなってラパス市街へと降る。市街から空港やチチカカへ行く道は、すり鉢の内側をぐるりと回って上る。最上部はまるで断崖をトラバースするように急斜面を巻いて進み、上りきるとそこから平野が広がっているのだ。実に不思議でスケールの大きい地形だ。


<太陽の島>

 太陽の島は意外な事に背斜のちょん切れた斜めの島だった。巨大な断層面がチチカカ湖から立ち上がって長い大きな斜面を形成している。この巨大な断層による稜線は湖の岸側から始まり、湖中へと潜って暗礁や小島を形成しながら太陽の島へと続いている。コパ・カバーナから太陽の島へと船で進むと、ちょん切れた背斜の尾根が陸から岬となって湖中へと突き出し、一旦水面下へ没したその先にまた、切っ先を見え隠れさながら太陽の島へと続いていくのが分かる。船は、湖中の峰を左から右へと横切り、その後右側から太陽の島へと近付いて行く。
 太陽の島には、本土から小島を一つ経由して高圧電線が通じていた。水中ケーブルでないところが遠隔の地を感じさせる。
 泉はアイマラの遺跡、神殿(?)はインカの遺跡。(PILRORAINA)インカ皇帝の滞在地(宮殿)と寺院入り口は並/将軍用/王(インカ)用と形状も区別されている。天井はアイマラの擬似アーチ。インカは石の天井を持たなかったけど。(天井低い!茶室みたい)
 しまった!太陽の神殿とチンカナ遺跡、museoを見れていないのだ!ロンプラ読めば書いてあったのに!古い「歩き方フロンティア編」を持ってきておくべきだったか。──まあ、自分で高度三千八百メーターに来て動き回れるとは思えずに一泊二日ツアーにしたのだから止むを得ないが。ラ・パスでも頭がまともに回っていなかったから、事前に見たい場所を確認するのも無理だったろう。本来は行きたい/見たい場所をリスト・アップして、そこを回るツアーを調べるべきだったのだ。今回は最初のツアー調査の段階から準備不足。

 今日は風邪薬飲んでるお陰かラ・パスより高い標高にきても体が辛くない。念のため一時間毎に糖分と水分を摂取する。太陽の島の急な階段を上り始めても頭痛はない。息切れはするけど。まともに食べた昼食ももたれて来ない。──が、コパ・カバーナに戻ってくると流石に疲れている。熱もあるようだ。一旦宿に戻り、薬を買いに行こうと外出。が、その前に夕暮れの町をカルバリオの丘へと上る。既に相当しんどい。頭痛もひどくて上りは辛い。日暮れまでに頂上に到れなかったので、鞍部から写真を撮る。その後、鞍部から少し上がって道を外れ、町を見下ろす岩場に座り、日が暮れて街灯が灯るのを待って写真を撮る。町の向こうの岩も、地層が三つ縦に飛び出しているのに気付き、写真に撮る。
 コパカバーナは南欧のビーチリゾートを思わせる。非常に居心地の良さそうな所だ。時間があれば、そして高山病も出ないのであればゆっくりと過ごしたいところだ。

 夕方、風邪薬を買い、クッキーを食べて服用する。シャワーを浴びて新しい服に着替えてセーターを着ると快調だ。軽い頭痛しかない。……が、午前零時頃右後頭部のかなり酷い頭痛で目覚め、クッキーとジュースを摂取するが消えない。夜明け前、風邪薬を飲み、恐らくこれが効いてから痛みが和らぎ眠る。



2006年4月23日(日)

コパカバーナ → ラパス

<コパカバーナ>

 コパカバーナはボリビアの成田山。教会前にはずらりと車が並び、順番にカトリックとアイマラの両神に祝福を受ける。カトリックの神父は聖水を振り、アイマラの神官は香(?)の煙をエンジンルーム、室内、トランクに振りまいて祝福する。人々は花びら、ビールを車に振りかけ、爆竹を鳴らす。辺り一面が花びらで埋まる。殆どが日本の中古車なので、既に日本で祝福されて来ている(?)のもある。ここでは成田山のお札は見当たらなかったけど、雀神社(?)の交通安全シールが貼られていた。──この後、市内の裏手で成田山のシール張ったトラック見つけた。
 ここはカトリックとアイマラの混合だ。その昔、アイマラの人々は教会内に入りたがらずに前庭に集い、その人々は教会やキリスト像ではなく、丘を崇めた。このため教会なのに前庭がムスリムのモスクのように広大な石床になっている。教会入口の彫刻にもパチャママが画かれている。大地の上に立ち、大地を見つめている。

カルバリオの丘は、湖側に大きな丘があり、反対側に小さめのアイマラの丘がある。アイマラでは、山は、天が地に降り注ぐところという意味で、非常に重要な場所らしい。(だったと思う。)八月には地が開くのでペルー側からも人々がやってきて大地にリャマを捧げる。コパの港にはCUSTOMがあり、その時は多数の船がペルーからチチカカ湖を渡ってやって来る。  教会の前庭にある、大きな三つの十字架を収めた屋根は、セマーナサンタ(欧米のイースターに当たる中南米の聖なる週間)にリャマを捧げるためのものだ。


<ラパス帰還>

 ラパスへの帰りのバスには日本人が一人同乗してきた。サンタクルス・アロハミエント(宿)の場所を教える。俺も、ホステル二つ当たった後、結局ここに入る。夕食を中華料理屋で共にし、話す。ベリースのキーカーカーとか、シナイのダハーブとか、結構話が合う。一年半旅行中との事。トルコ−シリヤ−(次どこだっけ?)−ヨルダン−エジプト−インド−ネパール……オセアニア……アメリカ−メキシコ−グアテマラ−ベリーズ−ホンデュラス−コスタリカ−パナマ……と来ている。



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