2006年3〜4月 南米旅行記   ここから先はテキストのみです。写真未編集です。

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2006年4月11日(火)

サンチャゴ → カラマ

 午前十時前にカラマ到着。空港で夜を明かして殆ど寝ていないのでゆっくりしようと思ったんだけど、インフォメーションのおばちゃん(一つしか歳違わんから俺にとっては『女性』だけど)がチュキカマタ(露天掘銅山)へ今日行けると言う。午前九時半と思ってた見学時間が午後二時に変わってた。チュキから戻った後にチウチウetc.のツアーC$6,000にも行く時間があるという。とりあえずチュキだけBookして安宿の場所を聞いて訪れる。その後、一応午後六時のツアーもBook。


<チュキ・カマタ(銅山)>

 チュキ行乗合タクシーは現地人も使ってる。銅山関係で一万六千人が働いていて、現在殆どがカラマに住んでいる。チュキ周辺の住居は廃棄されて人々はカラマ郊外に移っている。流石に銅山周辺は公害がひどいらしい。
 タクシーは定額のC$900がフロント・グラスに張ってあって三人も集まれば行く。途中で追加しようとするけどね。本来チュキ・カマタでは見学料のかわりにC$1,000募金をするのだが、話の通じないところが色々あるうち、払わずに戻ってきてしまった。見学バスの中で払うと言われたと思ったのだが、どうやらオフィスの別の窓口で払うのだったようだ。

 奥行五キロ幅三キロという巨大なすり鉢状の採掘現場、銅は、縁から少し内側に下がった場所のmirador(見晴台)から見て右手の一線にあり、これを掘り続けるにあたってバランスをとるために左側も掘削し、巨大なすり鉢状にしている。銅鉱石は底から浚って少し上に上げ、コンベアに落としてトンネルで外側に送る。不要な岩石は巨大なダンプでゆっくり上まで運んできて捨てている。すり鉢の外側すぐ横に積み上げられているようで、巨大な斜面が出来ている。元の山が削られ、その横にず〜〜と長く伸びるような感じだ。新しい住宅の建築に使っているとか説明してたように思う。チュキへ来る途中、左手方向に幅十数キロに渡る平坦な広い谷が緩やかに上方に伸びていて不思議に思ったのだが、これもチュキの土砂による埋立地かもしれない。


<チウ・チウ(インカ道の要衝/チリ最古の教会)>

 カラマに戻ってインフォメーション・センターに顔出したのだが、結局ツアー客が他に集まらず、代案としてチウチウだけ往復する。日が暮れそうでヤキモキしたが、なんとか日暮前にチウチウ着いて三十分歩き回り、同じミニバスで戻る。彼方の稜線まで遮るものもなく、日暮の空が美しい。
 片道C$1,300だったけど、ニイチャン、戻りをC$1,000にまけてくれた。この辺りからそろそろインカの人々(インディヘナ)だ。我々と同じモンゴロイド。表情や立ち居振る舞いを親しく感じる。行きのミニバスはインディヘナの老人達と若い女性と一人だった。老人達はかなり高齢で、入り口辺りに座っていた関係で降車時は何人かに手を貸した。高地、それも田舎に来ると、白人は減る。低地では、田舎でも白人が多く、その他にユーラシアン(混血)を見かけるが。
 チリの人々は嘘はつかない。まあ、当たり前だが。インドやエジプトは外人騙してぼる連中が多い。そういう国々を旅してきた経験でつい、身構えてしまう。ここではタクシーの客引きにバスの話を聞いても、多分ちゃんと教えてくれるだろう。昨日、空港から乗ったタクシーの運チャンも街までのAUTOBUSの話しながら何度も確認してから速度を上げた。

 「地球の歩き方」や"Lonely Planet"に載っているカラマは一部でしかない。どちらかと言うと今や街外れだろう。チウチウからの帰路で通った街中はサンチャゴに近い店の並びや歩行者道路があった。(チリはほぼ全ての一般道が一方通行で、歩行者専用道も多い。)サンチャゴと同じ大デパート二つ(RIPLEY,Paris)と「HOME CENTER」が街外れの大通りにあった。


2006年4月12日(水)

<カラマ → サン・ペドロ・デ・アタカマ>

 サン・ペドロ行きはC$1,300で意外にプルマンだった。トイレもあるが開かない。
 窓の外、遠方に細い煙がずうっとまっすぐ上がっていて、何かと思ったのだが近付いて見ても下には何もない。渦巻いていたから竜巻だったようだ。
 ここでも逃げ水が見える。遠くの山が浮いていたり、近くの山の下端が切れる程度だけれど。
 隣に座っていた山間の住人風オジサンが砂漠の真ん中でバスを降りた。道は東に延びているが近くに集落は無い。一体、ここで降りてどこに行くのだ?バス道から九十度の向きに地平線か山々の彼方まで歩いて行くのだろうか?……意外とポケットから携帯出して車呼ぶのかも知れないけどね。
 左手にアンデスの高峰が連なっているのだが、太陽の側なので窓際の客がカーテンを閉めていて見えない。残念だ。

 今朝はゆっくり寝ようと思っていたのに犬どもがやたら吠えまくっていて、午前八時に起こされた。荷物整理してシャワー浴び始めたらいつの間にか吠え止んでた。ま、午前十時ぐらいがcheck out だし、と、そのまま荷造りして出発。でも、八時半の次が十一時半だった、バスは。意味ねえ。

 サン・ペドロ着いて宿決めて、(インフォメーションで聞いて訪ねて回る。二軒目が空いてて良さそうだったから決める。)昼飯食って、ツアー捜し始める。意外な事にウユニ行ツアーはガイドブックや情報ノートに書かれていない会社がナカナカ良さそうで、ここに決める。(これが、間違いだった。)良く知られた(悪い噂もね)コルケは説明良い加減だし英語ガイドがない。パメラは丁寧だがスペイン語のみ。あれ、一つあたってないか?インフォメーションでは四つって言ってたぞ。
 サン・ペドロ周辺のツアーは「歩き方」に載ってる二軒以外は英語ガイドなさそう。この片方にする。値段も内容も変わらんしこっちの方が英語達者。
 チュキの絵葉書と、高山地帯の強い紫外線を遮る帽子捜して土産物屋を回る。目論んでた帽子はC$6,000と高い(安いか?)けど、おなじみの硬いのはC$3,500で気に入ったので買う。(ウールを固めたテンガロン風の。ゾロが被ってる様な黒い渋い奴。土産兼用。)
 昼間村を歩いてた時にニイチャンが声掛けてきた「田舎の小さな食堂」で夕食を食う。ここ以外はリゾートの観光レストラン風でもうひとつ。高いだけみたい。若いカップルがやってるようで、お客も子供と乳母風の一組と現地人。(昼も家族が食べてた。)お客も親しげで、ビールを頼もうとするとVINOにしとけと助言してくれる。で、VINOにする。


2006年4月13日(木)

サン・ペドロ・デ・アタカマ


<アタカマ塩湖、ミスカンティ湖、トコナオ村、ヘレス渓谷>

 今日は盛沢山。一日中ツアーだ。
 昨夜女性二人が同室になった。揃って大柄なバックパッカー。こっちは早めにアイマスクをして寝て、六時半に起き、シャワー浴びて髭剃って朝食作ってコーヒー飲んでたら七時過ぎには彼女達起きてきて七時半には出てった。
 まだ暗い時間でも宿では若い可愛い娘が起きてきて、もう一人の粋な格好の娘と二人、ツアー待ちのようだ。入口の前で立っている。結局同じ Desert Adventue 社のツアーだった。今日のツアー・ルート(ミスカンティー)は「他にもう一社来てたかな?」と思う程度で、全然少なかった。我々は1BOXの車に一杯。ドイツ娘二人、別のドイツ娘とその両親、チリ妻(アリカ出身)とイギリス夫、サン・パウロからのカップル(女性が格好良い。おしゃれ!美人!スタイル抜群!!森いずみに社交性を与えたというか、マリエの濃い〜所を抜いたというか。)とフランス娘二人(?)あと数名。若者連中は良く喋る、西・英・仏、各国語で。年寄連中(含俺)はチリ人女性(ロンドン在住)がよく喋って、俺とドイツ人家族を引き込んでくれる。


<アタカマ塩湖のフラミンゴ>

 この地域の湖水はミネラル(鉱物)が多く生物の生息には余り適していない。フラミンゴも飲み水は別の場所で摂るのだが、この湖では一方の鼻から水を吸い込み、反対側から出して餌を濾しとる。フラミンゴの捕食するアルテミア(蟹)はβカロチンを多く摂取し、これが原因でフラミンゴは鮮やかなピンク色を呈しているという。フラミンゴを極く普通に飼育すると色が出ないというのは事実だ。動物園では飼料に色素を添加している。


<ミスカンティ湖、ミニケス湖>

 二つの湖は高度四千メーターを超える。サン・ペドロは二千四百メーター程度しかない。毎日数時間ずつ四千メーター以上の場所で過ごし、少しずつ体を慣らそうという考えだ。
 十二年前ペルーを訪れた時、太陽の島とティワナク遺跡に行き損ねた。チチカカ湖畔の町プーノ、高度四千メーターまで来たところでソローチェ(高山病)にやられて敗退したのだ。日本で北アルプスの山々を歩いても一度も高山病にはならなかっただけに軽視していたところがあった。それなりに知識はつけておいたのだが、結局標高二千五百メーターからは飛行機で四千メーターまで飛んでしまい、高度順応の時間が無かった。それでもプーノ周辺は一通り観光したのだが、結局毎晩の激しい頭痛と速い動悸に耐えられずリマに下ってしまった。
 今回は少しずつ高度順応してから四千メーター超の土地を旅しようという考えだ。このまま北上して、今回はティワナクも太陽の島も訪れたい。──実際、明後日から当分は標高三千五百メーター以下に降りる事がない。ボリビア南西部にはそんな低い場所は無いのだ。
 まるでついでのように書いたが、訪れてみたい美しい場所なのが旅程に入れた理由。背後に六千メーター近い雪を頂く山々を控え、四千二百メーターという人跡の絶えた高地の湖は、しんと冴えた美を湛えている。


<トコナオで昼食>

 トコナオの村で昼食となったのだが、これが実に良い。カズウェラ(肉野菜煮込)、Pollo con Aroz(鶏ピラフ)とデザート。二皿は少ないように思うけど、カズウェラはポトフをイメージするとちょうど良い。かなり量があるが、お代わりも可だった。俺は結構カズウェラとパンだけで済ましたりするんだけど、ここでは完全にスープ扱い。でも、老若男女みんな綺麗に食べる。欧米人は食生活が違う。


<不思議な坂>

 広大な荒野に伸びる道の途中。少し曲がった辺りで緩い昇り坂に差し掛かると、ドライバーは車を止め、見ていろと言ってエンジンを切った。ブレーキを離すと車はゆっくりと道を昇り始め、乗客から驚きの声が上がった。──実はここは非常に広大な範囲で緩い傾斜の平地になっているため人は下り坂を水平と錯覚する。この途中に傾斜の穏やかな部分があって、これが昇り坂に見える訳だ。
 ガイドが北の方にも同じ箇所があると説明すると、サンパウロから来た素敵で陽気な娘がブラジルにもあると楽しげに話を始めた。──北海道では聞いた事無いけどな。


<チリで良く逢う不味いソース>


 チリに来てからレストランで頻繁に出食わすでえれえ不味いソース(?)がある。マッシュポテト風でクリームがかった緑色をしてる。料理に付いて来るのは除けりゃ好いんだけと、注意しとかないとハンバーガーでもホットドックでも塗り付けられてパンに挟まれて出てくる。青臭い味。チリはミントが豊富で、この国の人達は大好きなのかも知れないけど……。どこのレストラン行ってもミント・ティーのティーバッグが多種出てくるだよな。──このソース、抜いて貰おうと思うんだけど、いつも名前聞いとくの忘れて、その次また出て来てから後悔する。──で、名前がやっと分かった。"PALATA"だ。──だけどもうチリ出てくから当面関係無い。帰国前サンチャゴ戻った時憶えてられるかなあ……。


2006年4月14日(金)

サン・ペドロ・デ・アタカマ


 サンペドロは予想外に朝晩暖かかった。カラマはなぜ、ああも寒かったのか?ここよりずっと低いのに。

<タティオ間欠泉群>

 夜明けを標高四千三百メーターの Geyser del Tatio で迎えるため、早朝に起き出して五時過ぎツアーに出発。ヘッドライトの照らす先しか見えないが、車はまるで山道としか呼べないような道を進む。道の一部は脇から温泉が湧き出して小川になっている。これでも地図には太い黒線で描かれている道だ。
 到着した時間はまだ殆どの間欠泉がゴボゴボと咽を鳴らし白煙を上げている程度。それが、太陽が顔を出すと共に次々と盛大な湯しぶきを吹き上げ始める。太陽の偉大な力だ。おとなしく小さな煙を上げるだけの湯溜まりにはネット入の卵や紙パックのミルクが浸けられている。我々の朝食だ。
 夜が明け切るとそこは差し渡し一キロはあろうかという窪地だった。下手には十メートル×十五メートル程度の天然温泉がある。水着になって浸かると中々暖たかい。
 快晴になった。下りはチリ・ボリビア国境の高山を眺めながら移動する。リカンカブール火山。リカンの人々の聖地で、火口湖があるという。登山道がその方向へと続いている。
 アタカマの植生は不思議だ。四千メートル近くまで緑が無いのに、逆にこの高度から繁り始める。二千五百メーター台にも木々があるがこれは治水して植林したものだ。地下から水を汲み上げて灌漑している。日本では二千五百メーターぐらいが限界なのにここでもペルーでも四千メーター台に豊かな緑があり鳥や獣が居る。そして人々もそこに住んでいる。──今、間欠泉からの戻り道にも、湿地帯があって鳥達が羽を休めている。
 可愛らしい教会のある村で休憩。──ゾロのような黒い帽子被って衿までジッパーを閉めた黒いジャンパー来てると結構目立つ。ツアーに同行してる若い連中に時々遠くからカメラを向けられる。もしかするとジーパンも黒だったかも。


<午後:名無(でも面白い)谷、デス・バレー、月の谷>

 サン・ペドロは、今回の旅で初めて離れるのを惜しいと思う場所になった。月の谷の日暮から引き上げる時に二十才の可愛いドイツ娘と沢山話したからかも知れない。着古して裾のしまりの無くなった厚手の白いカーディガンと、こっちも色褪せて張りの失せたジーパンをいつも身に着けてる。でも、今日は他の連中とも沢山話した。──同室のカナダ人。半日ザックを貸して夕食を一緒に食べた。十八歳の癖にしっかりしてる。カナダで英語教師の教育を受けて、サンチャゴでプリゼンして海軍の英語教師の口を手に入れてる。──月の谷のツアーの英人。昨年九月から旅行してて、八月に本国戻って弁護士(?lowyer)に就く。今回の旅行で日本に寄る予定だった日程をインドに変えたから来年行きたいと。……結局メールIDを交換。ドイツ娘は昨日のツアーも一緒だった同宿の娘。ツアーでは話さなかったけど、後で飯食いに入った店にいて少し話して、その後宿でも話した。(かな?)今日は早朝から俺はタテオ間欠泉観光に出掛け、その時間娘達は宿で休んでたんだけど俺が昼に帰ってくるとパテオにいて、話してる内にマテ茶まで一服させて貰った。(マテ初体験!ここで初めてこれが何か知った。……パタゴニア旅行中ずっと不思議に思ってたんだよ。バスの運転手とかガイドが回し飲みしててね。半分に切った瓢箪みたいなカップや銀色の分厚いコップに細かい葉っぱのぎっしり詰まったお茶(?)が入ってて金属のパイプで吸ってるの。)一服貰うとかなり濃いお茶だった。味は日本茶と全然違う。──午後のツアーは娘たちも一緒だった。昨日話したときは予定未定っつってたんだけど。明日からウユニ行くって言ったからツアーを聞いたら西語だけのパメラだ。残念。

 死の谷と名付けたのはフランス人だが実は火星の谷─Valle del Marte─と言ったらしく、にも拘わらず発音が悪くて─Valle del Muerte─死の谷と聞き取られたという。可哀そうに。


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