2006年3〜4月 南米旅行記   ここから先はテキストのみです。写真未編集です。

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2006年 3月 30日(木)

 プエルト・ナターレス → プエルト・モン


 昨日はひどく動きがトロかったが天気と寒さのせいだけではなく風邪を引きかけていたのかもしれない。昨日から咽が痛み始めたのだけれど、乾燥のせいかと思ってあまり気にしていなかった。米人夫婦(アトランタ,ミシガン)独夫・英妻、独若者とツアーに行ったが米・英人達の話が弾んでいる割に、余り話しに参加していなかった。

 カラカラ(カランチョ--鳥)は山程いる。体が茶色で頭と羽先の白い、鷹のような鳥。女性にぶら下がって生きるような男の事をカランチョと呼ぶってロス・グラシアール・ツアーの時ガイドが言ってたな、確か。次々とメスを変えて子育てさせるからとか。パタゴニアは土地が痩せているので羊一頭を養うのに広大な土地がいる。それがこの地の牧地の広い理由。とか

 今日のフライトは天気が良い。かなりきれいに氷河が見える。
 ペリト・モレノ氷河のツアーで、アンデスの並行する二つの山脈の間に雪が溜まり、これが溢れてアルゼンチン側に氷河として落ちて来ていると言われたのだが、まさかね、と思ってた。
 飛行機から見ると、本当にその通りだった。オドロキ!──チリ側、二つの山脈の間は完璧に雪に埋まっていて所々に山のピークが覗いているだけだ。太平洋からの湿った風が雪に変じて降り積もり、完全に一帯を埋め尽くしている。

 ここの乗客(かどうか知らんが)は質が悪い。離着陸直前まで電話してるし、着陸してもタキシイングし始めるとすぐにまた電話する。前も後ろもスペイン語だし、『パタゴニアのプエルトモンだよ』なんていってるところを見るとよその人間か?
 今日は迂闊な事にロンプラお奨めの Hostel International 宿あったのを忘れてて他の宿をとっちまった。C$4000だけど。しかも最初はアンヘルモ近くに見かけた Hostel International 宿までわざわざ行ってしまった。ひでえ宿の癖にC$12000で全然 Hostel International らしくない。ニセモノじゃないよな。


2006年3月31日(金)

 プエルト・モン−アンヘルモ


 HotMailでメール送ったらAprilになったので一瞬驚いた。hotmail.co.jp(日本)はもう明日なんだ。
 ホームページに乗っけてる旅程表もついでに修正しておこうと思ったが、サーバーが geocities じゃなかったので編集不可。(今は geocities だけど帰国後に移してます。) geocities なら web ブラウザで編集できるんだけど、そうじゃないんでページのソース持って来て編集しよう思ったのだが、チリ言語環境PC上のディフルトWindowsエディターじゃ sjis が表示できない。(x_x)

 一応宿とったけど、Hostel International(HI) のホステルも当たって見る。と、なんとまあ既にホテルに変身していてC$13000もする。Tourist Information で聞いてみると今は HI の宿はないらしい。

 プエルト・モンのお店では料金は入口近くにある「CAJA」で払うようだ。日本と同じだ。チップも要らない。でもアンヘルモの方はそうでも無かった。

 アンヘルモの市場内でCurantを食べる。量があって、不味くはないが、うまいというものでもない。この類は、今までの所、函館の市場が一番だったな。店はヘドロの臭いがしたし。市場のドブ攫いしてたからこの臭い?それにしても臭かった。それほどひどくは無くて、時々臭う程度だけど。
 港の漁船の向こうに波が立ってるの、何かと思ったらアシカだった。二尾のアシカが頭出して、多分、漁のおこぼれにあずかってた。


2006年4月 1日(土)

チロエ島 アンクー、カストロ


 今日は、チロエ島に渡り、アンクーとカストロを訪れる。バスに乗ってフェリーで海峡を越え、そのまま島内を移動する。海峡には沢山アシカが居た。でも、それ程近くまでは寄って来ない。写真は撮れなかった。
 本土からずっとだけれど、この辺りはカルストのように地面のえぐれている場所が多い。平地にいきなり陥没したベルトが出現する。地形は平坦で林も多くてカルストではないのだが……

<アンクー>

アンクーは壁にうろこ模様のある家が特徴だ。確かに、趣のある家が多い。
 わざわざCentroのインフォメーション・センターまで行ったら留守だった。が、なんと戻ってくるとバスターミナルにインフォメーション・センターが開いていた。

<カストロ>

 海上レストランに来て、よく流行ってる店の入口で、辞書見ながら看板の menu de hoy (本日の定食)を調べて中に入ってなんとか注文した。一皿でなく二皿になってしまったようだが、marisco(海産物)の鍋物とペヘレイの何か(なんだろ?)が注文できたはずだ。──最初は牡蠣のスープ。これはおいしかった。レモン付いて来たけど勿体無いので最後に残った汁をさらえるときだけ絞った。その後、パンで綺麗に拭きとって食べた。今回の旅でここまでしたのは初めて。半分程食べてから、気づいて写真を撮った。二皿目になる時ペヘレイが無いと言われて、でも、メルルーサは嫌だったからもうひとつのcerdoを頼んだが、来て見ると豚だ。失敗。これまで何度も食べた固い奴。

 バスターミナルでオフィスのオペレーションを見てると気が付いた。CRUZ DEL SUR(チリの大手バス会社)の予約システムは3270画面だ!キーインしてから随分時間掛かるからなにを待ってるのかと思ってみると、画面下部におなじみのOIA(OperatorInformationArea)。左端にバッテン入りの四角(□+×)があってその右に SYSTEM って出てるじゃん。(IBMホストシステム知らないと分らない話題ですが。)暫くしてやっと座席図(CUIだぜ!)が出た。オヤオヤ……。十三年前にペルー旅した時も、銀行とか旅行社とかで使ってるのがホストシステムで「やれやれ」って思ったんだけど、未だにあるんだな。十三年前でさえ、IBMはRS/6000(IBMのUNIX--AIXが動くマシン)の先進事例としてペルーのプロジェクトを大々的に宣伝してたと言うのに。

 Castro から PuertoMontt へのバスに乗る。Ancud の街中へと昇る坂の手前、前の席に座ってた娘は何艘かの漁船の舫われた桟橋の所でバスを降りた。そこまで携帯に向かって話し続けていて服装や表情からもPuertoMontt辺りまで行くとばかり思っていた。何か凄く寂しいような、またその逆に、世界中の全ての町がほんの数十メートルの間隔で繋がっているかのような暖かい気持ちを覚えた。−−最近は日本を旅していてもテレビと交通網が「地方」を消し去ってしまったのを良く感じる。日本中どこに行っても若者達は全く同じだ。都心部の若者だとばかり思っていたら、都心から何時間もかかる人家もまばらな村の中へと消えていく。−−Ancud 近くで下車した前席の娘は、車中、話の中身を気にしたのか、一度窓ガラス越しにこちらの方を振り返った。その眼が大きく生き生きとしていたのが記憶に残った。

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 咽が矢鱈痛い。体調はそれ程悪くないようだ。多分、咽だけ。


2006年4月 2日(日)

プエルト・モン

 こっちへ来てからまだ星空を見ていない。夜は雲が多い。
 プエルト・モンも海際の一角は都心部に過ぎず、背後に一山登ってさらにその先に住宅街がまだまだ広がっている。
 昨晩、サンチャゴへの行き方を色々考えたのだが、朝発のバスは一本しかなく、予約を試みた時にはFullだった。アキラメて、今日、朝まで伸ばすことにした。朝、行って予約して見るとカマ(--快適なフル・リクライニング・シート:C$16,000)は既にフルでセミカマ(C$10,000)19:25で行くことにした。9:00過ぎサンチャゴ着だ。
 アンヘルモまで行き、名物というピコロコを食べる。大きなフジツボと思えば良い。冷たくて身が少なくてチリでよく食べる青臭い味付け。おいしいとは言えない。
 アンヘルモ近くのi-net屋、C$400/Hだったから入ったら、日本語フォントない!すぐ出る。前にも使ったデパートの二階で十五分ほど使う。日本のニュース見て、Resくれた友達にRes。

 プエルト・モンを夜行バスで出発する時に気が付いた事がある。今回、サンチャゴへ最初に着陸したのは夜だったのだが、夜景が随分と奇妙だった。一見オレンジ色の街灯だけが地面に整然と並び、現代美術の屋外展示のように見える。暗闇に淡いオレンジが渦巻く水流のように広がり、美しく街を覆っているのだが、その下に家々が見えない。夜の公園のような景観だが、見渡す限りの地表がこれだ。実は、街灯が非常に高く高層ビルが少ないために、街路の輪郭そのままに上空から街灯の列が見えているのだ。夜行バスから街を見ていて始めて気付いた。これは、高台から見る夜景でも同じだ。



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