HOME  TOP  その三 

中米旅行報告 その四 クリスチャンの国MEXICO


中南米の言葉はスペイン語が多い。
それらの国々はスペイン人に侵略され、スペイン文化一色に塗り替えられている。
その完膚なきまでの侵略ぶりは、旧世界の都市を埋め尽くして建設されたクスコ(インカの都)や
メキシコ・シティー(アステカの都ティノチトラン)を見れば良く分かる。
ヨーロッパと見まがうばかりの都市の下に旧世界の都が埋められている。
そして、その後の四、五百年間にスペイン語、ポルトガル語が国語になりきってしまった。
文化的にもスペインとの交流が深い。
書籍にしろ歌にしろ翻訳せずにそのまま流通するから当然の話ではある。
だが、それ以上に驚くのは、熱狂的なクリスチャンぶりである。
アメリカでも、フランス以北のヨーロッパでも、これほどのクリスチャンぶりはお目に掛からなかった。
恐らく、地中海沿岸の国々は同様の熱狂ぶりなのだろう。

まず、教会が凄い。
アステカやインカの宮殿を破壊して建設された教会が立派なのは当たり前だが、
その後の何百年間に建設された教会も凄い。
どの街も、教会を一つ見てから百メートルも歩かないうちに次の教会に出くわす。
その教会がどれもこれも巨大で、しかも立派な石造だ。
周囲に石畳の広場を持ち、彫刻された噴水や美しい樹木とベンチが配されている。
街の成功者は必ず教会に多大な寄付をし、時には旧大陸から建築家を呼び寄せて教会や内装の設計をさせる。
壁と天井一面に金箔を貼った豪華絢爛な教会がある。
ドーム状の屋根が、ブルゴーニュ風(というよりトルコ風か?)のカラフルなタイル貼りになっているのもある。

一般人の信仰も深い。
どのバスの運チャンも必ず十字架やマリア様の絵をフロントウィンドウの上に飾ってる。
もっとも、これは、成田山のお札と同じ。
バスの運ちゃんはそんなのは存在しないかのごとく勢い良くびゅんびゅん飛ばす。
最も驚いたのは、セマーナサンタ(聖週間。ヨーロッパのイースターにあたる。)のピーク。
メキシコ市の目抜き通りを専有して、メキシコ各州からの代表たちが延々と10キロぐらい行進していくのだが、
これが皆キリストを誉め讃えるために行進しているのだ。
青少年がメインで、それぞれに装いを凝らし、飾り立てたトレーラーの上に並び、
或いは、道の上を、踊りに熱中し、拡声器の音楽に合わせて歌いながら陽気に進んでいく。
遠くから見ていると単なるお祭りにしか見えない。
しかし、車や旗に描かれた絵、言葉は、全てキリストを誉め讃えている。
時折あがる歓声は“VIVA CRIST!”(キリスト万歳)だ。
特殊な連中じゃない。
その辺にいる、極く普通のアンちゃんオネエちゃんたちが、顔を輝かせて叫んでる。

ほんの五百年前、この国の人々は、キリストの教えなど誰一人知らず、
そこにはククルカンやチャアック(マヤの神々)、
あるいはケツァルコアトルやウィツロポチトリ(アステカの神々)がいた。

五百年前、コルテスが上陸し、国々を侵略し、スペイン文化とキリスト教を植え付けた。
今世紀に入ると、数百年に渡るスペイン系支配層の搾取に反抗して中南米の国々は次々と革命を起こし、
独立を勝ち取った。
その喜びと誇りは、数多くの通りに付けられた革命記念日や勇士の名前で窺い知れる。
祖先の築いた文明を破壊して支配を続けてきたスペイン系への怒りがはっきりと見える。
だが、これらの人々がキリストに対する深い愛に貫かれて行動していたという事実は非常に不可解に見える。

メキシコの人々は、先スペイン文化に対して大変な誇りを持っているが、
一方で非常に熱心なカトリック教徒である。
彼らの文化を滅ぼし、アステカ・マヤの神々を邪教として破壊したコルテスを
彼らはどう見ているのだろう?
かつて“邪教”を信仰していた彼らの祖先を暗黒世界から開放して
輝かしい神の世界へ導いてくれた聖者と考えているのだろうか?
ところが、その同じ人物は、彼らの誇る先スペイン文化を滅ぼしたのだ。

この矛盾した事実は、熱狂的なカトリック教徒である現在のメキシコ人と、
彼らの誇る先スペイン文化について考える時に必ずついてまわる。
何といっても、彼らの誇る先スペイン文化は、邪教に支配された暗黒世界だったのだ。
底の浅いキリスト教徒なら“まあ、そんなもんさ”で済むだろうが、
熱狂的な信者である彼らはこの矛盾に一体どう折り合いをつけているのだろう?
八百万(やおよろず)の神々をいまだに祭り続ける日の本の国の住人としては
不審の念を払拭できないのである。