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中米旅行報告 その二 神秘の丘


“インカ”と“マヤ”,“アステカ”を混同している人は多い。
かく言う私も昔は分っていなかった。

インカは、南米北部、現在のペルーを中心に栄えた文化。
一方、マヤは、現在のメキシコ東南部からグアテマラ、ホンデュラスをまたがるユカタン半島周辺に栄えた文化。
そして、アステカはメキシコ中部と南部に栄えた文化である。

インカが他の二者と殆ど交流のなかったのに対し、マヤ・アステカの間にはは密接な関わりがあった。
両者は距離も近く、人間の交流や交易、文化交流があった。
戦国時代の国々と言った方が近い。
“チャックモル”のように両者共通にみられる神もある。
ところが、マヤの南端とインカの北端は2000キロも離れていて、その間にはパナマ地峡のような隘路まである。
マヤ・アステカとインカは、間近で遺跡を見比べれば違いが良く分かる。

インカの建造物が巨石を多用しているのに対し、マヤ・アステカの建造物は砕石と漆喰で構築されている。
インカに見られる巨石建造物は、誰が、いつ、どこから、どうやって石を運び、
如何にしてこうも隙間無く積み上げたのか?という謎を呼び起こすが、
砕石と漆喰で作られた建造物は、たとえ巨大なピラミッドでも、
“これなら、権力さえあれば俺でも作れるぞ”と感じてもうひとつ神秘さに欠ける。(俺だけかな?)

メキシコ市から1時間程度の距離にあるテオティワカンのピラミッドなど、その良い例だ。
敷地面積とピラミッドの規模こそ巨大だが、世界各国からアクセスが容易なだけに、
矢鱈観光客が多く、土地もきれいに整地されていて神秘に欠ける事甚だしい。
インカと比べると、全然わくわくさせてくれない。

また、インカの遺跡が、高山あるいは砂漠地帯という自然変化の乏しい地域に存在し、
風化が少ないのに対し、マヤは、亜熱帯ジャングルという自然変化が急激な地域に有る。
このため、マヤの遺跡は、一旦放棄されると、ほんの百年程度の間にすっかり樹木に覆われ、
低い建造物はただの丘と化してしまう。

巨大なピラミッドは、驚くべき唐突さでジャングルから頭部を突き出しているが、
発見当初の写真を見ると、頂部の石造神殿にさえ太い樹木が根を縦横に絡ませて突き立っている。
急傾斜の基壇部など、発見当時は土と下草に完全に覆われ、一方向から見ただけでは崖か山肌にしか見えない。
周囲をぐるりと一周歩き、全周が険しい斜面である事を知り、
さらにその上に天を突く巨大な構造が存在する事を知って初めて、自然の構築物ではない事を認識する。

このジャングルの中を、何も気付かぬまま何年も何年も歩き続けていたとして、
ある日突然その事実に気付いたとしたら、恐怖に近い驚きを感じるに違いない。
不自然な地形に不信を抱き、衝動にかられて急斜面を攀じ登り、その頂上に石造の神殿を発見する。
その結果、それまで大地と思っていた地面の下に巨大な建造物が隠されていたのだと知る訳だ。
人の手になるものではない、そう思うに違いない。

樹木の生い茂るジャングルの奥深く巨大な建造物が天蓋を突き破って聳えている。
しかも、一つ二つではない。
巨人達の集会のように、森の上に頭を突き出し、数十メートル数百メートルを隔てて向き合っている。
見渡せば、唯のジャングルに見えていた一帯も、異様に尖った丘、長方形に盛り上がった大地、防壁の形に広場を取り囲む岩、……全てに何者かの手が入っていると気付く。
尋常の場所ではない。
“聖なる地”といった言葉が浮かぶ。

事実、ユカタンの地で太古より変わらぬ生活様式を続けるラカンドン族は、
文明人の知らぬマヤ遺跡を神聖なる地と崇め、香を焚き、祭儀をとり行なってきた。
その遺跡は、今では“ボナンパック”の名で知られている。

かように、マヤの遺跡は、インカと全く違った形の神秘を見せる。
ただし、その神秘は、アクセスの容易な観光化の進んだ遺跡では味わえない。
チチェンイッツァー、ウシュマルは観光地化され切っている。
切り開かれた平地のただ中に屹立する神殿は、偉大ではあるが神秘ではない。
明るい陽光に燦々と照らされた岩肌は、あまりに開放的だ。
むしろ、鬱蒼と茂る樹林に呑まれたままの遺跡に神秘は残る。

パレンケの遺跡を訪れると良い。
……ゲートの小屋を後にして緑豊かなジャングルの中を歩き続けると、
やがて木々の間から巨大な建造物の基部が覗き始める。
広場にたどり着くと、見上げるばかりの石造神殿が、急斜面を背後にして、青々とした樹海を睥睨して聳え立つ。
広場の先、神殿と宮殿を越えた向こう側には、緑豊かな谷間を清冽な流れが下り、
遺跡群の白い岩肌が鮮やかなコントラストをなす。

ティカルの場合は、こうだ。

……夜明け前、薄暗い樹林の中の判別し難い小道を辿り続けると、やがて巨大な神殿の背後に至る。
斜面を攀じ登り正面に回ると、そこは二基の神殿が東西に向かい合う広場だ。
西に聳える二号神殿の急峻な階段を頂上まで昇り詰め、一号神殿の背後から昇る太陽を待つ。
日の出が迫るに従って、鳥や猿の叫び声が姦しくなる。
それに呼応するかのように、行者杖程もある長い尺八を携えた旅行者が野太い音を響かせる。
やがて太陽が東の空と一号神殿を朱に染めながら姿を現わし、鳥達が木々を飛び渡る。

……ティカルの遺跡域は広い。
ジャングルの中を歩き続けると、急な斜面が現われ、斜面を直登する方向に道がある。
どう見ても、ただの崖にしか見えないのだが、ガイドブックによれば、それが神殿だ。
木の根を伝いながら急傾斜を登ると、地崩れの下に石垣が見える。
目を凝らすと斜面のそこここに石垣が見える。
登るに従い石の露出部が増え、神殿である事が明らかになる。
頂上に達する頃には、足許は完全に石段となり、住居風の石造建築が現われる。

“保存”という観点からすれば、樹木を全て根こそぎにしてこれ以上の崩壊を防ぎ、
さらに、崩壊している石組みを復元してしまうのが良いに違いない。
だが、我侭な願いを言わせてもらえば、遺跡は発見された時のまま、
千々に散乱し、樹林の間に散らばっていて欲しい。
森の中、小高い丘の上に、唐突と奇怪な姿を見せて我々を驚かせて欲しい。
子供の頃から憧れてきた神秘的な姿のまま、いつまでも残っていて欲しい。
そうと気付くまでは唯の丘のまま眠り続け、我々に驚異の目を見開かさせて欲しい。

神秘は場所に応じて様々な横顔をみせる。
中米では、それは緑深いジャングルだ。
いつまでも、その神秘の中に佇んでいてくれるような“保存”を期待するのは我侭が過ぎるだろうか?
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